1959~63年
戦国時代

毎年上位チームが入れ替わる「パ・リーグ戦国時代」と言えた。西鉄、南海の上位争いに、東映、阪急、大毎が加わり、混戦のパ・リーグとなった。

西鉄は1959年に三原脩監督、そして”天才打者”大下弘がチームを去ったことに加えて、腱しょう炎を患った中西太の不振が響き、徐々に衰退の気配を見せた。

しかし、そのなかで輝き続け、チームを支えたのが”鉄腕”稲尾和久である。
稲尾和久はこの5シーズンで145勝を挙げた。特に1961年には42勝を挙げ、人々を魅了し、西鉄を引っ張った。

1963年には、中西太監督のもと、5年ぶりの優勝を果たす。この優勝が西鉄の最後の優勝になるとは誰も想わなかった。

監修:杉山茂(スポーツプロデューサー)

チーム成績

チーム名 監督 順位 試合数 勝率
1959年 西鉄ライオンズ 三原脩 4 144 66 64 14 0.508
1960年 西鉄ライオンズ 川崎徳次 3 136 70 60 6 0.538
1961年 西鉄ライオンズ 川崎徳次 3 140 81 56 3 0.589
1962年 西鉄ライオンズ 中西太 3 136 62 68 6 0.477
1963年 西鉄ライオンズ 中西太 1 150 86 60 4 0.589

打撃成績

打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
1959年 0.236 144 4832 494 1140 175 42 69 455 79
1960年 0.251 136 4537 537 1138 179 41 97 486 80
1961年 0.249 140 4624 545 1151 175 29 110 497 107
1962年 0.245 136 4501 483 1103 161 36 92 444 89
1963年 0.244 150 5013 584 1222 175 19 146 555 102

投手成績

防御率 試合 勝利 敗北 完投 完封 投球回 奪三振 失点
1959年 2.66 144 66 64 33 17 1311 893 459
1960年 3.05 136 70 60 42 10 1212 889 467
1961年 2.83 140 81 56 36 18 1244 943 485
1962年 3.00 136 62 68 44 16 1221 864 489
1963年 2.69 150 86 60 45 21 1375 811 477