1959年
”知将”と“天才”去る
名勝負として語られる天覧試合が行われた年である。巨人の長嶋茂雄が阪神のルーキー村山実からサヨナラホームランを放ち、劇的な幕切れとなったのだ。そのホームランをファールであったと村山実が主張し続けたことも有名である。この天覧試合が日本のプロ野球界に示したものは非常に大きい。前年の西鉄の迫力に満ちた試合ぶりと相まって“職業野球”として始まったプロ野球が、国民的人気スポーツとしての位置を確固たるものとした。この年、西鉄は4位と低迷し、南海が大毎との優勝争いを制して、4年ぶりに悲願のリーグ優勝を果たした。
南海の投手陣には、38勝4敗防御率1.40というすさまじい成績を残した杉浦忠が、打撃陣には首位打者のタイトルを獲得した杉山光平がおり、安定した強さを誇った。杉浦忠は30勝15敗防御率1.65の成績を残した稲尾和久を抑え、投手のタイトルを総なめにし、さしもの西鉄も及ばなかった。
シーズン終了後、三原脩監督が西鉄を去り、青バットで世間を魅了した“天才”大下弘も現役を引退した。打者の胸元を突いた“カミソリシュート”河村英文も広島に移籍し、西鉄を去った。“最強”三原西鉄は幕を閉じた。
主力選手成績
打者
選手名 | 打率 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
高倉 照幸 | 0.304 | 121 | 434 | 60 | 132 | 16 | 6 | 5 | 34 | 17 |
豊田 泰光 | 0.300 | 133 | 447 | 61 | 134 | 18 | 4 | 17 | 81 | 13 |
投手
選手名 | 防御率 | 試合 | 勝 | 敗 | 完投 | 完封 | 投球回 | 奪三振 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
稲尾 和久 | 1.65 | 75 | 30 | 15 | 23 | 5 | 402 | 321 | 86 |
島原 幸雄 | 2.39 | 49 | 12 | 11 | 4 | 0 | 244 | 139 | 75 |
順位
順位 | チーム | 試 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 南海 | 134 | 88 | 42 | 4 | 0.677 | - |
2 | 大毎 | 136 | 82 | 48 | 6 | 0.631 | 6.0 |
3 | 東映 | 135 | 67 | 63 | 5 | 0.515 | 21.0 |
4 | 西鉄 | 144 | 66 | 64 | 14 | 0.508 | 22.0 |
5 | 阪急 | 134 | 48 | 82 | 4 | 0.369 | 40.0 |
6 | 近鉄 | 133 | 39 | 91 | 3 | 0.300 | 49.0 |