1962年
中西監督就任

中西太が29歳の若さで監督に就任し、選手としての出場機会が徐々に減少する。持病の腱しょう炎の影響だが、その原因がスイングスピードが速すぎたためであると言われ、中西太のすごさを物語る。投手陣の稲尾和久に依存する体質は変わりなく、打撃陣では“鉄腕の恋女房”和田博実が好成績を残すも、3年連続の3位で終える。シーズン終了後、“サムライ”豊田泰光が国鉄へ移籍した。

同年のパ・リーグは、水原茂監督率いる東映が優勝する。その後、日本シリーズでは15年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神を倒し初の日本一も達成した。東映では、前年首位打者の張本勲、新入団投手の尾崎行雄など、若手選手の活躍が目立った。

主力選手成績

打者

選手名 打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
和田 博実 0.325 113 388 47 126 15 5 14 54 12

投手

選手名 防御率 試合 完投 完封 投球回 奪三振 失点
稲尾 和久 2.30 57 25 18 23 6 320 228 98
若生 忠男 2.42 56 14 19 12 2 286 207 90

順位

順位 チーム
優勝 東映 133 78 52 3 0.600 -
2 南海 133 73 57 3 0.562 5.0
3 西鉄 136 62 68 6 0.477 16.0
4 大毎 132 60 70 2 0.462 18.0
5 阪急 131 60 70 1 0.462 18.0
6 近鉄 131 57 73 1 0.438 21.0