1960年
川崎監督就任

カラーテレビが始まった年である。これによりさらに野球をはじめとしたスポーツがお茶の間に楽しさを送り込んだ。

昨シーズンを最後に西鉄を去った三原脩監督に代わり、川崎徳次が監督に就任した。就任1年目の西鉄は、大下弘、河村英文が抜けた影響からか大毎、南海に次ぐ3位でシーズンを終えた。投手陣では、前年75試合に登板し30勝を挙げた稲尾和久が39試合の登板で20勝どまりだったことも優勝争いに加われなかった一因であろう。西鉄にとって稲尾和久は絶対的な存在であり、入団してから前年までの4年間の勝ち星が21,35,33,30であることを考えると、この年の20勝が物足りなく見える。稲尾和久は入団以来、2年目からの3年連続30勝を含む8年連続20勝を達成している。

打撃陣では中西太の故障が大きい要因である。腱しょう炎により満足にスイングができなくなり、32試合の出場は主に代打にとどまった。このシーズンから三原脩監督が指揮を執った大洋が、巨人のリーグ6連覇を阻止し、日本一にも輝いた。5年連続で日本一を逸した水原茂監督は巨人を去る。

主力選手成績

打者

選手名 打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
豊田 泰光 0.287 127 425 75 122 18 4 23 87 9

投手

選手名 防御率 試合 完投 完封 投球回 奪三振 失点
稲尾 和久 2.59 39 20 7 19 3 243 179 80

順位

順位 チーム
優勝 大毎 133 82 48 3 0.631 -
2 南海 136 78 52 6 0.600 4.0
3 西鉄 136 70 60 6 0.538 12.0
4 阪急 136 65 65 6 0.500 17.0
5 東映 132 52 78 2 0.400 30.0
6 近鉄 131 43 87 1 0.331 39.0