1953年
“サムライ”入団、“怪童”成長

メディア革新の年である。2月にNHKが、8月に初の民間放送として日本テレビ放送網がテレビ放送を始めた。テレビ放送は、日本の野球をいっそう大衆化させ、九州の球団である西鉄の名が全国に知れ渡る原動力ともなった。 西鉄の打撃陣は、凄みを増した“天才”大下弘、2年目を迎え成長した“怪童”中西太に、野性美あふれる“サムライ”豊田泰光が加わり、重量打線を布いた。 豊田泰光が新人王を、中西太が本塁打王と打点王の2冠を獲得したことからも打撃陣の充実ぶりがわかる。

投手陣では“川崎徳次”が最優秀防御率、最多勝の2冠を獲得するなど孤軍奮闘するが、チーム防御率はリーグ5位と低迷した。投手陣の不振にあえいだ西鉄は、シーズン途中、兵役のため日本に駐留していたロング、ペインの両投手をアルバイト選手として雇った。彼らは休日になると合流し、活躍した。アルバイト選手の活躍は物議も醸し、この年限りで廃止となった。 打撃陣の完成度は高かったが、“投壊”の影響で4位と低迷した。 豊田泰光のほかに後年活躍する西村貞朗、河村英文、高倉照幸が入団しており、「史上最強」への気配を感じさせる一年であった。

取得タイトル

新人王
豊田 泰光
本塁打王
中西 太
打点王
中西 太
最多勝
川崎 徳次
最優秀防御率
川崎 徳次

主力選手成績

打者

選手名 打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
中西 太 0.314 120 465 92 146 20 7 36 86 36
大下 弘 0.307 114 443 60 136 29 6 12 61 8

投手

選手名 防御率 試合 完投 完封 投球回 奪三振 失点
川崎 徳次 1.98 47 24 15 18 5 294 110 86

順位

順位 チーム
優勝 南海 120 71 48 1 0.597 -
2 阪急 120 67 52 1 0.563 4.0
3 大映 120 63 53 4 0.543 6.5
4 西鉄 120 57 61 2 0.483 13.5
5 毎日 120 56 62 2 0.475 14.5
6 東急 120 50 67 3 0.427 20.0
7 近鉄 120 48 69 3 0.410 22.0