1952年
“天才”と“怪童”の入団

埼玉西武ライオンズとも縁の深い手塚治虫氏の代表作である「鉄腕アトム」が月刊誌「少年」に連載され、高度成長期に期待をかける人々の心を打った。

西鉄は“知将”三原脩監督のチーム構想が徐々に実現しはじめ、3位となった。打撃陣では、青バットで人気を集めた“天才打者”大下弘が東急から移籍し、無類の長距離砲である“怪童”中西太が入団した。投手陣では、最多勝のタイトルを獲得した野口正明をはじめ、川崎徳次、大津守も安定した成績を挙げた。 大下弘や新人王に輝いた中西太などスターの素質がある選手が入団したことにより、日本一を目指す三原脩監督の構想の具現化が感じられた一年であった。

取得タイトル

新人王
中西 太
最多勝
野口 正明

主力選手成績

打者

選手名 打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
大下 弘 0.307 99 355 61 109 25 3 13 59 9

投手

選手名 防御率 試合 完投 完封 投球回 奪三振 失点
野口 正明 2.59 45 23 12 15 2 260 75 99
川崎 徳次 2.75 41 13 11 12 4 216 90 86
大津 守 2.73 46 18 8 12 0 230 70 86

順位

順位 チーム
優勝 南海 121 76 44 0.633 -
2 毎日 120 75 45 0 0.625 1.0
3 西鉄 120 67 52 1 0.563 8.5
4 大映 121 55 65 1 0.458 21.0
5 阪急 108 49 58 1 0.458 20.5
6 東急 108 49 59 0 0.454 21.0
7 近鉄 108 30 78 0 0.278 40.0