選手として阪神(1969~78年)、西武(1979~84年)に在籍された田淵幸一氏は2020年競技者表彰として野球殿堂入りを果たされました。しかしながら新型コロナウイルス感染拡大の影響により、表彰式を行う舞台である当年のオールスターゲームは中止となり、球場およびファンの皆さまの前での表彰式を実施することができませんでした。
しかし、このたび新型コロナウイルス感染予防対策が緩和されたことに伴い、改めて田淵幸一氏をベルーナドームにお招きして野球殿堂博物館全面協力のもと、ファンの皆さまの前でのセレモニーを実施することとなりました。
セレモニーは、田淵氏が西武ライオンズ入団前に所属した阪神タイガースとの交流戦初戦である5月30日(火)、試合前のフィールドにて行いますのでライオンズファン、タイガースファンの皆さま、ぜひご来場ください。
2023シーズン、ライオンズ球団史のさまざまな事柄にスポットを充てるイベントを「LIONS CHRONICLE」と題し、開催いたします。
多くのファンの皆さまとともに、ライオンズのそれぞれの時代を振り返っていく企画です。
今回はライオンズ在籍者23人目の野球殿堂入りをされた田淵幸一氏の功績をプロ野球史家 綱島理友氏のコラムにて振り返ります。
阪神、西武で474本塁打を放った
山本浩二、富田勝と共に「法政三羽ガラス」の一人として法政大学黄金時代を築く。
1968年、ドラフト1位で阪神に入団。翌年、22本塁打の活躍で新人王を受賞。
75年には43本塁打を放ち本塁打王を獲得するなど、強肩強打の捕手として活躍した。
西武に移籍後は82、83年の日本一に貢献。
通算474本塁打を放ち「ホームランアーチスト」と呼ばれた。
引退後はダイエー監督を務めた後、星野仙一監督を支え、阪神・北京五輪日本代表・楽天のコーチを歴任した。