1979~球場ヒストリー西武ライオンズ球場の誕生 (執筆 プロ野球史家 綱島理友)

ベルーナドームは1979年、西武ライオンズの本拠地「西武ライオンズ球場」として開場しました。
かつてこの場所には西武所有の「西武園球場」がありました。狭山丘陵の地形を活かしたスタンドを設置していた、主にアマチュア野球が使用する球場でしたが、78年7月、改築して大規模な近代的スタジアムを建設することが発表されます。

プロ球団を持たない西武の発表は、さまざまな憶測を呼ぶことになりました。
当時の資料には、新球場建設の理由について、いくつかの理由が挙げられています。
西武沿線には約280万人の人口がありましたが、当時は本格的な球場が存在しませんでした。
戦前にプロ野球の前身である職業野球開催のために建設され、戦後は東京六大学野球なども使用した都内杉並区の上井草球場がありましたが、59年に廃止されています。その後、埼玉県所沢市の狭山丘陵、現在のベルーナドームがある場所に「西武園球場」が63年に竣工されました。

西武沿線でも大きなエリアを占める埼玉県は野球が非常に盛んなところでした。
ところが県内にはプロ野球の試合を開催できるような本格的な大球場がありませんでした。
77年の春、当時の畑和埼玉県知事が返還される所沢市の米軍キャンプ跡地の活用方法として、県民からの要望の多いプロ野球場を建設したいと表明して話題になります。
しかし返還される土地は国有地で制約があるため、実現には至りませんでした。
この頃の所沢市は、所沢商業高校が甲子園出場し、市民の熱狂的な応援も知られていました。近隣各市にはそれぞれ2~300もの野球チームがあり、もともと野球熱が非常に高い地域でもあったのです。
そして西武グループ社員の間からも沿線でプロ野球を観たいという声が上がりました。

ただし、新球場の建設発表の時点では、プロ野球参入は具体化していませんでした。
当初、プロ野球については、チームを呼んでゲームを開催する貸し球場での使用を想定していました。
最初に西武グループ内で社会人野球のプリンスホテル野球部が創設されます。続いて球場建設。ライオンズはそのあとでした。
事業として具体化していく中で、やはり自らもチームを持つべきだということになり、急遽クラウンライターライオンズの買収という動きになったのです。

狭山丘陵に似た丘陵地に建設されたアメリカ、ロサンゼルスのドジャースタジアムを参考に球場建設が始まります。地上に構造物を建てるのではなく、丘陵地を掘り下げる方式が採用されました。プロ野球が開催されるような大きな野球場というと、コンクリートの巨大なかたまりが、地上から高くそびえたつ形が一般的でしたが、自然に囲まれた周囲の景観と調和した緑豊かな球場というコンセプトが打ち出されました。
狭山自然公園の景観に調和させるため、西武園球場の地盤をさらに2m掘り下げて、新球場の構造物はできるだけ土を使うというという形の工事が行われました。開発地域全体に植栽を増やし、以前よりもいっそう緑が多くする工夫も凝らされました。

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  • 建設中の球場を見学する監督、選手

センターラインの120mは後楽園球場をはじめとした他プロ野球開催球場とほぼ同じ。ただし両翼95mは当時としては日本一でした(横浜は94m、後楽園90m、甲子園、神宮91m)。
さらに座席一人当たりの広さは後楽園より7割、甲子園より5割広く設定、計画をしていました。
グラウンドは当時、最先端の人工芝。後楽園、横浜などは日本製の人工芝を使用していましたが、新球場は大リーグで使用されているアストロターフを採用していました。
さらに約36,000個の電球を使用したスコアボードは中央部に映像が表示できるなど、最新鋭の設備を整えていました。
以前の西武園球場はホームベースが現在のセンター側にありましたが、向きを逆にすれば内野スタンドからユネスコ村が見えて景色がよくなるという意見もあり、現在の位置に改められます。
また、外野フェンスに広告がないのも大きな特徴で、人工芝、フェンス、狭山丘陵の借景と、緑がとても美しく映える球場でした。

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82年「空気を、ごちそうします。気分は大リーグ、西武ライオンズ球場。」というキャッチコピーで新聞広告が掲載されましたが、そのコピーにも球場のコンセプトがよく表されています。

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78年10月、西武グループの国土計画がクラウンライターライオンズを買収し、西武ライオンズが誕生します。移転4年目の82年に初の日本一に輝くと、92年までに8度日本シリーズを制覇。そのうち5回が西武球場で優勝を決めています。

その後、96年にドーム化を発表しますが、これも当初の計画に盛り込まれていました。周辺に多摩湖、狭山湖の貯水池があり、雨の通り道でもあることから、将来的に屋根を付けることが想定されていたのです。西武球場の照明塔はドーム化を見据え、スタジアムの外周に設置されていました。

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西武園球場の改築発表からプロ球団の移転は、西武鉄道沿線の子供たちに大きな夢と期待をもたらします。さまざまなプロモーションにわくわくした子供時代を思い出す方も多いのではないでしょうか。

そのわくわくした気持ちを次の世代にもつないでいくべく、2018年には西武ライオンズ40周年記念事業の一環として子ども向けの屋内、屋外施設も設置。45年を経ても変わらない、大人も子どもも楽しめるボールパークとして進化を続けています。
ベルーナドームはファン、そしてライオンズと共に、これからも前に向かって進んでいくはずです。