球団ペットマークの誕生 執筆 プロ野球史家 綱島理友

1979年、新天地埼玉所沢でスタートを切る西武ライオンズには、ファンの心をとらえるペットマークが必要でした。
そんな中で浮かび上がったのが、西武鉄道沿線で所縁のあった手塚治虫さんです。
かつて手塚さんのもとに若手漫画家たちが集まって生活していたトキワ荘があったのは、西武池袋線沿線の椎名町でした。その後の仕事場も西武沿線近くに置かれていました。
そして手塚さんには白いライオンのレオが主人公の『ジャングル大帝』という大きな作品がありました。
球団のペットマークへの採用をお願いすると、快諾をいただき、すぐにレオの線画を数点描き上げてくださいました。

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その中からレオの横顔を選んでグリーンの楕円形の中にのせてみると、マークとしてしっくりと収まりました。
帽子、球団旗などに使用され、西武ライオンズの顔となります。

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1979年の西武ライオンズファンブックにて、手塚治虫さんはこんなコメントを残されています。

私の愛する息子ともいうべきジャングル大帝「レオ」が西武ライオンズのシンボルマークに採用されたことは喜びと感激にたえません。(中略)
レオ軍団=西武ライオンズは、子供たちから大人まで幅広いファンの方々に愛されるチームになると思います。
見た目にはスマートで、いざゲームになると一気に燃えるレオ軍団になってもらいたいのが私の願いです。
「レオよ いざ行かん プロ野球大帝をめざし・・・・・・」

その想いを背負ったレオマークはライオンズのシンボルとして、現在も球団旗の中心部に変わることなく位置し、レオの横顔はチームを見守り続けています。
描いていただいたイラストの中にはVサインを掲げるレオもいました。
これは優勝記念マークとして使われてきました。さらに81年には妹ライナも新たに描き加えてくださいました。
そして今シーズン、レオの横顔はユニフォームの右袖に、キャップとヘルメットにはシルエットとして、15年ぶりの復活を果たしています。

プロ野球の意匠という視点で顧みると、各球団にはチームのロゴ、キャラクター、球団マーク、球団旗、チームカラーなど、デザインに関する決まりをまとめたグラフィックマニュアルがあります。
これを球界で最初に採用したのが、1979年に埼玉所沢の新天地でスタートを切ることになった西武ライオンズです。
それまでの日本球界ではデザイン、意匠関係はあまり重要視されていませんでした。雑誌や新聞で使用される球団旗やロゴなどは、絵心のある素人が描いたような稚拙な図版が使われることがたびたびでした。
しかし西武ライオンズは日本球界で初めてプロのデザイナーにトータルなイメージ作りを依頼。プロの手による本格的なデザインワークを導入します。
ライオンズの福岡から埼玉への移転がプロ野球実行委員会で認められたのは、1978年の10月12日。
そこから作業が開始され、チームロゴ、ユニフォームのデザインなどが次々と完成していきました。
12月5日、西武ライオンズのグラフィックマニュアルに基づいたデザインが発表されました。
そしてレオ、ライナは今も変わることなく、ファンに愛され続けています。