引退セレモニー
ceremony

内海哲也投手・引退コメント

延長にもおよぶ熱戦を終え、内海投手の引退セレモニーを前に一瞬の静けさが訪れます。1軍選手だけでなく、ファーム選手を含めて全選手が自ら意志を示し引退セレモニーに参加。3塁ベンチ前にチームメイトが並びます。内海投手の歴史を辿ったセレモニーの動画が流れ、敦賀気比高校の先輩である、現・敦賀気比高校監督の東さん、ジャイアンツ時代にバッテリーを組んだ阿部慎之助さん、盟友・高橋尚成さんのメッセージが流れると、内海投手の目に熱いものが浮かびます。


その後、内海哲也ランドセル基金より、設立1年目にランドセルを受け取り、今年20歳となった3人の方からの花束を渡されます。
2人目は同じジャイアンツで共に戦い、ジャイアンツ時代最後の監督となった高橋由伸さんから花束を渡されます。
「内海の野球に対する姿勢は本当に素晴らしかった。多くの後輩たち、そして同僚、もちろん僕ら先輩たちも影響され、影響され、感銘を受けた人がたくさんいると思います」と内海投手の人柄を称え言葉をかけました。

続いて、入団時の監督の堀内恒夫さんが花束を持って登場しました。
あまりこういった場所は苦手だと話したうえで「私が関わった最後の選手です」と話し始めると、「君の技術、経験を若い選手に伝え、ひとりでも多くの第2、第3の内海を育ててほしい」と今後にも期待をかけました。

そして最後には内海投手がグローブにも刻む4人のお子さんが花束を持って、渡します。
こどもたち一人ひとりと抱き合い、声をかけます。


そして涙が頬を伝う中、内海投手がご挨拶を行いました。

「まず初めにこの舞台を用意いただいた埼玉西武ライオンズ球団関係者の皆さま、監督・コーチ・選手の皆さまに御礼申し上げます。ありがとうございます。
そしてお付き合いいただきました東北楽天ゴールデンイーグルスの皆さまありがとうございました。そして最後まで球場に残って応援をいただいたファンの皆さまありがとうございます。
私、内海哲也は今シーズンを最後に現役を引退します。振り返れば、祖父もプレーしたジャイアンツからプロ野球人生がスタートしました。入団会見の日、亡き祖父を思い出すかのように、ユニフォームに手を触れ、涙を流した祖母の姿は今でも忘れられません。
現役生活19年間、堀内監督、原監督、高橋監督、辻監督の元プレーをさせていただきました。堀内監督にはチャンスをいただき、原監督には責任を持たせていただき、高橋監督には再び這い上がるチャンスをいただき、辻監督には新たな経験・挑戦をさせていただきました。
今季達成した2000投球回、135個の勝ち星は僕を使ってくれた4人の監督のおかげです。

入団当初、プロ野球という世界のレベルの高さに圧倒され、無理かもしないと思った時期もありましたが、諦めず、泥臭く、自分らしくがんばってきました。それを支えてくれたのが今まで指導してくれたコーチの方々、厳しくも愛情をもって接してくれた先輩方、共に高みを目指し切磋琢磨した同世代の仲間たち、僕を慕ってくれたかわいい後輩たち。
僕を支えてくれたすべての方々のおかげでここまでプレーすることができました。ありがとうございました。

その中でも一番近くで支えてくれた家族に感謝の思いを伝えさせてください。
おかん、若い頃は色々大変なこともありました。それでも野球をやらせてくれ、丈夫な身体に生んでくれたおかげで、ここまで野球をすることができました。ありがとうございました。

妻、共に笑い、共に泣き、こどもたちが小さいときは特に大変だったと思います。それでもいつもそばで支えてくれ、一生懸命サポートしてくれました。感謝しかありません。あなたがいなければここまでがんばってこれなかったと思います。ありがとうございました。
こどもたち、辛く、苦しく、心が折れそうになったとき、あなたたちの存在に救われ、パパがんばれ、その言葉に何度も奮い立ち、マウンドに立つことができました。これからは、あなたたちの番です。それぞれの夢に向かって1日を大切にがんばってください。応援します。

そして、残っていただいている炭谷選手、4年前ライオンズに移籍するときすみませんと謝ってくれましたが、この4年間で本当に素晴らしい経験をすることができました。ありがとうございました。でも、東京ドームで打たれたホームランは忘れません。まだまだ野球人生は続くと思います。応援しています。

ライオンズファンの皆さま、期待にこたえられず申し訳ありませんでした。それでもいつも温かい声援や拍手をいただき、どれだけ勇気づけられたかわかりません。ありがとうございました。4年間ほとんどの時間を隣にあるカーミニークフィールドで若い選手たちとがんばってきました。イキのいい、将来楽しみな選手がいっぱいいます。しかし、近くて遠いこの場所は簡単に来ることができる場所ではありません。僕自身、若いころからがむしゃらに練習し、今も変わらず19年間やり抜いたつもりです。練習は嘘をつきません。それは自分自身、身をもって感じたからです。ファンの皆さま、この壁を乗り越え、1軍の舞台で活躍する選手たちを楽しみに待っていてください。

ジャイアンツファンの皆さま、恵まれた力から始まるあの応援歌は僕の宝物です。昨年交流戦で投げた際、マウンドにあがる声援、拍手は一生忘れません。ライオンズに移籍しても変わらず応援してくださり本当にありがとうございました。

最後になりますが、ライオンズは今チーム一丸となり全力で戦っています。僕も最後の最後まで準備します。ライオンズファンの皆さま一緒に戦っていきましょう。本日は本当にありがとうございました。


溢れんばかりの拍手に包まれるベルーナドームに頭を下げた内海投手。イーグルスベンチの炭谷銀仁朗選手、渡辺直人一軍打撃コーチと握手を交わし、1塁側からベルーナドームを一周します。

内海投手の27番のライオンズのユニフォーム、今日配布された内海投手の27が描かれたボードはもちろん、26番のジャイアンツ時代の内海投手のユニフォームを掲げて、ファンの方が内海投手に感謝の思いを伝えます。それに手を何度も振り応える内海投手―。

そして3塁のベンチ前の監督・コーチ・選手にひとりずつと握手を交わします。中村選手、栗山選手、増田投手と愛弟子・渡邉投手、そして最後にエース・高橋投手と熱い抱擁を交わすと、その高橋投手に促されてマウンドに。ライオンズの監督・コーチ・選手が囲み、3度宙に舞いました。

そして、試合開始から5時間が経過してもなお埋め尽くされているベルーナドームでの万雷の拍手を浴び、3塁ダグアウトに戻っていきました。



当日の登板の様子

午前中に引退会見を行った内海投手。引退会見では、報道陣の質問が一通り終わった後に、サプライズで愛弟子ともいえる渡邉勇太朗投手が登場。
渡邉投手が泣きながら手紙を朗読すると、すでにうるんでいた瞳から涙をこぼした内海投手。
「プロ野球人生をスタートした瞬間に内海さんに出会い、色んなことを教えていただいたこの4年間が自分の人生において一番の財産です」と話した渡邉投手を筆頭に、
たくさんの選手たちに慕われました。1軍、2軍問わず十数人の投手陣が会見場に表し、内海投手に花束を渡しました。
4年間という在籍期間でしたが、プレーでの貢献だけでなく、その存在自体がライオンズに大きな影響を与えました。


試合前の投手陣との練習を終えた後には拍手で送りだされ、試合前のブルペンでの投球練習では、いつもの内海投手らしい直球と変化球を投げ込みました。
ブルペンを出るときにはコーチ、ブルペン捕手の方々と握手をして、最後のマウンドにのぞみます。
その姿を1軍、2軍問わずたくさんの選手たちが見逃さまいと見つめます。
ベンチ前での投球練習では気合の入った表情で最後の1球を投げ込むと、グラウンドに入る前とマウンドにお辞儀をするいつものルーティンに。


登場曲「PRIDE」が流れ、最後の投球練習に入ります。直球、変化球と投げこみ、ふっと息を吐き打者に対峙します。

1球目は内角低めの直球でボール球になるも137kmを記録。2球目はストライク投球。3球目は外角へのワンバウンド投球となりますが、4球目は内角にズバッと直球を投げ込みます。
最後はこの日最速の139kmの直球で相手打者を詰まら、セカンドゴロに打ち取りました。


この投球を終えると、野手陣と握手。今日先発マスクを被ったルーキー古賀選手と抱き合うと、巨人時代も同僚であった豊田投手コーチとも抱き合います。
球場全体に挨拶をするとベンチ前でも握手を交わし、最後の登板を終えました。

溢れんばかりの拍手で内海投手を見送るベルーナドームは、内海投手の誰にでも愛されたその人柄がにじみ出た空間となりました。






引退会見の様子



おはようございます。
朝早くからお集まりいただき本当にありがとうございます。

私事ですが今シーズンを最後に現役を引退することに決めました。
現役生活19年間色んなことがありましたけれど、今はやり切った思いでいっぱいです。

本日は引退のセレモニーもさせていただきますので、そのときに皆さんの前でお話をさせてもらえればいいかなと思います。

報道陣の方には若い頃から色々取り上げていただき本当にありがとうございました。
本日はよろしくお願いします。

率直にどんな心境でしょうか?

ついにこのときが来たかという感じです。

いつどんなタイミングで引退を決められましたか?

今シーズン始まってからずっとどこかでやめないといけないなという気持ちはあって、それでも1軍に呼んでだいたり、ファームでも調子よかったり、そういう状況もあったので、すごく迷ったんですけど、コーチ兼任ということで今年1年やらしていただいて、若い選手たちが伸びてきて、1軍の舞台で活躍する姿を見たいなという気持ちにもなりましたし、それで僕がいることであしかせとなって、邪魔をしかねないと思いもありました。 今年が引き際として一番いいかなと思って決断しました。

決めることになったいちばんの理由はなんですか?

ここ数年1軍の登板機会も少なくなっていましたし、たまにいくと昔みたいに絶対抑えられるという自信が少しずつなくなってきました。
そういう気持ちで1軍のマウンドに立っても自分自身違うなというのが、今年特に思ったことなので、それで決断しました。

最初に伝えられた方はどなたですか?

やっぱり、家族ですね。

若い頃からご家族を大切にしていましたが、お話しした時のご家族の印象はどうでしたか?

薄々は家族も気づいていたみたいで、言ったときは泣いてはいましたけれども、すぐに受け入れてくれて「お疲れさま」と言っていただきました。

内海投手にとってご家族はどんな存在ですか?

家族がいなかったらここまでやれなかったと思いますし、僕の支えでもあり、活力でもあり、すべてでした。

現役生活を振り返っていただきたいのですが、引退となり19年間どんなシーンが思い浮かびますか?

ジャイアンツ時代のことをよく思い出すんですけど、優勝したり最多勝をとれたり叱咤されたり、いろんな思い出がありますけど、ライオンズでも成績は残せなかったですけど、受け入れてもらいライオンズの一員になれたというのは思い出に残っています。

ジャイアンツで15年、ライオンズで4年という現役でした。それぞれ振り返ってどんな各チームでの活躍でしたか?

ジャイアンツでは堀内監督にどうしようもないピッチングをしても1軍で使っていただいたおかげで、1軍で活躍する土台を作ってもらいましたし、原監督にもエースといっていただけるような使い方というか大事な場面を任せてもらいました。由伸(高橋元監督)さんと辻さんのときはなかなか自分が思うようなパフォーマンス出せなくて悔しい想いしかないですが感謝しています。

たくさんの監督の元でプレーされましたが、やはり感謝の気持ちが大きいですか?

そうですね。感謝しかないですね。

ベストピッチはありますか?

はじめに出てくるのは長嶋さんと松井さんの国民栄誉賞授与式の東京ドームでの登板がいちばん思い出されます。あの日は絶対負けてはいけない試合だったので緊張したのは覚えています。

最多勝を取られたときに涙を流されていたのが印象的でしたが、あの頃のことを振り返っていただいてもよろしいですか?

入団した時から150キロの真っ直ぐを投げるわけでもないし、千賀投手のようなフォークボールがあるわけでもない普通のピッチャーだったと思うのですが、色んな方に教えてもらいながらちょっとずつ力をつけていって、実った結果の最多勝だと僕は思っているので感無量でした。最後の17勝、18勝は両方ともサヨナラ勝ちで野手の方に打ってもらって、支えてもらった勝利だったなと思ったので、本当に嬉しかったです。

こだわっていたピッチングスタイルはどういったところですか?

決して速くない真っ直ぐでしたが、本格派左腕だと自分に言い聞かせて、とにかくまっすぐを生かせるように練習してきたつもりですし、取っていただいた阿部さんがうまくリードをしていただいたので、そういうのを積み重ねて自分自身も投球術というかバッターを抑える術をちょっとずつ学んで、今に至っていると思います。

今年からコーチも勤めあげまして、どんな思いでライオンズで過ごしてきましたか?

入団させていただいたときは第二の野球人生ということで活躍する気、満々で入団したのですが、ケガもありふがいなく、ライオンズファンの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですし、球団の方にも期待に応えられず申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、
カーミニークで若い選手たちといっぱいやれましたので、僕のやってきたことを伝えられたと思いますし、これからの選手たちが伸びるように微力ですがやってきたつもりです。

球界屈指の人格者ということで知られていますが、ご自身ではファンの方やチームメートとどういう思いで接しってきましたか?

なるべくフランクにといいますか、松坂さんがこられて最年長ではなくなりましたが、僕が入ったときは最年長でとっつきにくいとかどういう風に話しかけたらいいかわからないというのは、一番僕自身もよくないし、早く溶け込むためにはフランクにどんどん溶け込んでいって若い選手たちと一緒にやれればいいなと思ってやっていました。

ライオンズで野球人生終えることについてはいかがですか?

感謝しかないですね。4年も見ていただいたっていう気持ちしかないので、本当だったらもっと早くユニフォームを脱ぎなさいと言われてもおかしくない状況だったと思うのですが、自分が決めるまで(言葉に詰まる)現役をやらせてもらったので感謝しかないです。

野球人生の中でこだわってきたものはありますか?

こだわりは誰よりも早く来て、誰よりも練習するということです。
実際、できてたかどうかはわからないですけど、自己満足の世界ですけど、やってきたつもりです。

明日からどのように過ごしていきたいですか?

最後までやってくれと言われているので、明日からもライオンズのことを考えて今シーズンが終わるまでやり切りたいと思っています。

今シーズンのあとはどのように考えていますか?

とりあえずゆっくり家族と過ごして今後のことも考えていきたいと思っています。

19年間で135勝積み上げてきましたが、ご自身については勝ち数についてはどのように見られていますか?

正直、もっと勝ちたい、200勝を目指していたので、全然足りないなと思っているんですけど、よくやったなと思っています。

若手投手陣が成長してきたという話がありましたが、今シーズンは防御率も大きく改善しましたが内海投手にはどのようにうつっていますでしょうか?

僕なんか全然そのお役に立てているとは思っていないですけど、これからのまだまだ1年目2年目の子たちをしっかり育てたいアドバイスしてあげたいと思いながら、今年1年やってきました。まだまだ実るのはこの先だと思いますが、応援していきたいです。

このあとファンの前で投げられますが、どういった思いで投げられますか?

身体の状態はすごくいいので思い切って今まで通り投げたいです。チーム状況がこういう状況なので迷惑をかけないようにしっかり投げたいと思います。

内海投手がキャッチボールを丁寧にやっている理由を教えてください。

当たり前のことだと僕は思っているのですが、投げることが仕事なので、キャッチボールからしっかり自分のフォームを確認しながら、1球1球丁寧にやるというのが当たり前のことだと毎日やっていたので、ピッチングになってからちゃんとやるのではなくキャッチボールの1球目から自分のフォームを確認しながら毎日やってきました。

こどもたちにどんなことを大切にしたら良いかアドバイスをお願いします。

野球人口が減ってきているということなので、とにかく楽しんでやっていただければ良いかなと思います。

引退報告をしたあとで、心に残っている言葉やメッセージはありますか?

色んな方に報告したんですが、本当にお疲れさまということで、みんなねぎらってくれて、印象に残った言葉は、そうですね、ここでは内緒にしておきます。みんなねぎらってくれました。

あえてやり残したことや、心残りのことはありますか?

心残りはライオンズで活躍できなかったこと。それにつきます。

後輩に伝えたい思いを教えてください。

悔いのないように、野球人生そんなに長くないので、悔いのないようにやり切ったと思えるような生活を毎日やってほしいと思いますし、1軍で活躍すると世界が変わると思うので、そこを目指して妥協せずにがんばってほしいなと思います。

昨日の夜はどう過ごされましたか?

家族と過ごしたのですが、いつもどおり今日花束をこどもたちが渡してくれるので、それの打ち合わせとか、色々ちゃんとできるか僕より不安です(笑)。寝つきは良かったのですが、寝たような寝ていないような、何回も起きて今日のスピーチを繰り返していました。