since 1951 SPIRIT of KING 獅子の敵は、獅子だ。 特別対談

Vol.3

「主将の決意」

石毛宏典 × 源田壮亮

2017年の、遊撃手。
ライオンズのショートには、スタープレイヤーの系譜がある。

類まれなリーダーシップで第二の黄金期を牽引した石毛宏典を筆頭に、走攻守の三拍子を高次元で兼ね備えた松井稼頭央、パワーヒッターとして勝負強さを発揮した中島裕之(現・宏之)。彼らは内野の要であり、同時に“チームの顔”でもあった。

しかし、2012年のオフに中島がチームを去って以降、ショートの系譜が揺らぐ。何人もの選手がその座をめぐって凌ぎを削るも、定着しないまま4シーズンが過ぎた。

そして2017年3月31日、札幌ドームで行われた北海道日本ハムとの開幕戦。一人の“ルーキー”が颯爽とショートのポジションに就いた。セカンドの浅村栄斗と軽く視線を交わしたその表情は、どこか涼しげ。トヨタ自動車から入団したばかりの源田壮亮だ。

今から思えば、「辻(発彦)監督の目に狂いなし」のひと言で評されるであろう抜擢。ただし、春季キャンプでは守備の基礎練習に終始していた源田の起用は、少なからず驚きをもって迎えられた。ライオンズの新人が開幕戦でショートのスタメンを張ったのは実に36年ぶり、石毛以来の出来事だった。

そのデビュー戦から2年あまり、源田は試合に出続けた。299試合連続フルイニング出場。もちろん、新人としてはプロ野球史上初の記録である。彗星のごとく現れ、正遊撃手の座に就いた源田は、2020年、主将として“チームの顔”になる。

開幕新人スタメン、新人王、ショートストップ、社会人出身…。源田がたどる道の遥か先に、石毛の背中を重ねるファンは少なくない。二人の共通点は、ただの偶然か、必然か。

ショートの系譜が、今、交わる―。
1982年の、改革。
1970年代、ライオンズは6度の最下位を経験し、Aクラスが1度きりと、長く暗いトンネルの中にあった。11度のリーグ優勝、8度の日本一に輝く黄金期が始まるのは、1982年から。石毛がプリンスホテルを経てライオンズに入団した1981年は、ちょうど低迷と栄光の狭間の時期だった。一方で、石毛は“黄金期への胎動”を確実に感じ取っていたという。

石毛「チームの立て直しの方法はさまざまですが、ライオンズの場合は根本(睦夫)さんがまず選手 を集めた。森繁和さんや松沼兄弟(博久・雅之)、それから俺や秋山(幸二)、工藤(公康)…いわゆる “根本マジック”による招集ですね。一方で根本さんは、『こいつらを育てられるのは広岡(達朗)しか いない』と考え、潔く監督を辞した。僕が1年目を終えた1981年の10月、“あの広岡さん”が監督に就任しま した」

“あの”に込められている広岡のイメージは、歯に衣着せぬ言動、それに伴う幾多の確執、自ら「海軍 式」と称した管理野球、そのいずれかだろうか。広岡は緩みきったチームに容赦なく改革のメスを入 れ、大方のマスコミの予想を裏切り、「就任1年目で優勝」という有言を実行した。

石毛「俺が入団したときはちょうど過渡期。かつての“野武士軍団”を地でゆく先輩たちが門限を破る わ、二日酔いで球場にくるわ、好き勝手やってましたよ(笑)。当然、広岡さんはそれを許さず、選手の 食事まで管理し始めました。キャンプのミーティングでは『必勝法・必敗法』という冊子をもとに野球 理論を叩き込み、『石毛、これ説明してみろ』って試してくる。ずいぶんシゴかれましたよ。初対面で開 口一番、『お前が石毛か、ようそんなんで新人王獲れたな、下手くそ!』ですから(笑)」

口は悪いが情に厚い。広岡監督は「下手くそ!」と怒鳴りながらも、「お前は必ず上手くなる」と最後ま で練習に付き合ってくれたという。
石毛「ある種、マインドコントロールのような広岡さんの教育があって、それで勝ち方を覚えた選手 が森(祇晶)監督のマネジメントによって花開いていきました。野武士軍団から常勝軍団になって、 チームの雰囲気も徐々に変わっていきました。『腰が痛い』なんて言おうものなら、周りから『おいお い、石毛さん休むってよぉ、楽なもんだねぇ!』とヤジられ、エラーをした日にはピッチャーから『俺の 給料減らす気か!』と詰め寄られる。当時はみんな、開幕前から当然のごとく日本シリーズを闘う気 でいましたからね。競争意識やプロ意識が根づいていました」
2018年の、捕殺記録。
入団1年目の開幕からショートの座を守り、3割・127安打・21本塁打のずば抜けた成績で新人王に 輝いた石毛。ゴールデングラブ賞をショートで5回、サードにコンバートされてからも5回受賞と、辻、 田辺徳雄らと鉄壁の内野を築き上げた。そんな名手の目に、源田の守備はどのように映っているの だろうか?

石毛「俺なんかと比べものにならないくらい上手いですよ。アマチュア野球の指導をするとき、『内野 は全員、源田を見習え!』って言ってるくらいですから。辻監督でもかなわないんじゃないかな(笑)。 とにかく基本に忠実で、捕ってから投げるまでの動き、送球が安定している。難しい球でもバランス が崩れないのは素晴らしいですよ。守備の原点はどこにあるの?」

源田「小学生のころから上手いとは言われていたんですが、中・高・大と進学するにつれて『プレーが 軽い』と言われるようになりました。いいプレーはするけど、エラーも多いというか…。トヨタ自動車 に入って『このままじゃマズイ』という危機感が芽生え、ひたすら守備練習に励みました。思い返す と、トヨタ自動車に入るまで誰も守備を教えてくれなかったんですよ。初めて『お前の守備はここがダ メだ』と具体的に教えてくださる恩師と出会って、真剣に取り組むようになりました」

新人にして開幕299試合連続フルイニング出場というプロ野球記録は、安定感のある守備を抜きに は語れないだろう。ゴールデングラブ賞は2018・2019年と2年連続。2017年は刺殺・捕殺・併殺す べてリーグトップの成績で、2018年の捕殺数526はショートとして歴代1位。この数字は、どんなに 難しい打球もさばく捕球能力、正確無比な送球はもちろん、捕球から送球までの速さ、守備範囲の広 さなど、源田のレベルの高さを裏づけている。しかも、源田はそれを“涼しい顔”でやってのけるの だ。

源田「1年目のキャンプで辻監督と特守をやったことも影響していると思います。動きにムダが多い と指摘されながら、それを修正していきました。毎日、朝から夕方までずっとでしたね」

石毛「源田の守備を見ていると、広岡さんの言葉を思い出します。『若いころはバネがあるから無理 がきくけど、30歳過ぎたらダメになるぞ。我流じゃあ人にも教えられん。正しいもの、基礎を身につ けろ』。源田はその基礎が飛び抜けているから、俺のゴールデングラブ賞の数字なんてあっという間 に抜きますよ」
2020年の、王座へ。
2019年、ペナントレースを制したライオンズはクライマックスシリーズで福岡ソフトバンクを迎え撃 つも、4連敗という苦汁をなめた。源田は1点を追う3回1死1・3塁の好機で凡退、7回には得点に絡 む失策。試合後、溢れ出る涙を堪えながら雪辱を誓った。

源田「福岡ソフトバンクのベンチを見ていると、負けていても勝ってるような雰囲気なんです。それは 他のチームにはない強みであり、僕らが超えるべき壁でもあると思います」

石毛「俺の現役時代は、11回日本シリーズに出て、8回日本一になった。一方で、3回は負けているわ けです。例えば、1986年と1991年は広島相手にずいぶん手こずりました。すると、『広島の武器は機 動力だよな、どんどんヘッドスライディングしてくるよな』と、相手の良さを認めて取り入れようと なってくる。他球団へ意識を向けて、相手の良さ、自分たちに足りないものを考えるのはいいことで すよ。

黄金期のチームを振り返ると、それぞれの選手が自分の役割を理解していました。1番の俺が出塁し て、2番の平野(謙)さんが送りバント、クリーンアップの秋山、清原(和博)、デストラーデで走者を一 掃する。相手が動いてきたらバスターかエンドラン。これを頑なに続けると、相手が『次は何をしてく るんだ』と警戒してミスが出る。そのための練習は徹底的にやりました」

源田「強いと思うライバルチームも、やっぱり練習量が違いますね。2番を打っている自分の役割とし ては、とにかく塁に出てスコアリングポジションまで進む。そうすれば森(友哉)や中村(剛也)さんが 返してくれると信じてやっています」

石毛「当時のライオンズがセオリー通りの野球で勝てたのは、他のチームがそれをやっていなかった から。でも、今はどのチームもセオリーを実践しているし、むしろ高校・大学からそういう野球を学ん でいる。当時と今とでは野球のレベルが全然違うと思います。そういう中で、ライオンズがどう勝って いくか。送りバントは一発で決める、一発の長打で試合を決める。ひとつひとつの精度を上げること が大事だと思います」

源田「今のライオンズの選手たちも、自分が何をすべきか、その役割を理解していると思います。 チームがひとつになったときの爆発力は福岡ソフトバンクに負けません。ひどいケガじゃなければ 『行けます、出ます』という選手も多いですし、3連覇に向けてチームの士気は高いと思います」
2020年の、リーダー像。
石毛と源田には、もうひとつ共通点がある。石毛は駒澤大学時代に、源田は愛知学院大学時代に主 将を務めている。さらに、石毛はライオンズでもリーダーを務め、源田は2020シーズンの主将を託 された。辻監督は、源田が備えているリーダーの資質を見抜いていたのだろうか。

石毛「辻監督は、昨シーズンからそれまで以上に源田がマウンドに駆け寄り、ピッチャーに声をかけ る姿を見て決めたんじゃないかな。ショートは内野と外野をつなぐ役割もあるから、ポジション的に も主将に向いていると思います。
主将という呼び名は森監督時代の最後のころにできたもので、俺がもらったのはチームリーダーと いう肩書き。試合前のミーティングで広岡監督に『おい、石毛なんかしゃべれ』と言われ、スピーチを していました。130試合もあるから、新聞や雑誌を読んだり、映画を観たり、いろんなところからネタ を探しましたよ」

源田「歴代の主将を見ると、石毛さんはたくさんのタイトルを獲られて、とてつもない成績を残して いる。圧倒的な数字や技術を持っていて、プレーで引っ張る、背中で引っ張る主将が多いイメージが あります。その流れの中で、自分ができることは何かを探そうと思っています。 2019年のクライマックスシリーズでは守備でもミスをして、チームも完敗。そういった試合で流れを 変えられる、ここ一番で頼られる存在になりたいですね」

石毛「源田は練習が終わった後も特打してたでしょう。『もっと上手くなりたい』『いい成績を納め たい』。それでいいんですよ。努力することは当たり前、プロとしての前提条件。一方で、陰でやる努力 も必要だけど、主将としては表でやって見せることも大事なんだ。主将はどういう練習をしているか、 どういう姿勢で野球に取り組んでいるか、周りはその背中を見ているからね」

源田「自分も石毛さんのように、チームの雰囲気が悪いときに選手を鼓舞できる存在になりたいで す。個人個人が考えて動けるチームが一番強いと思うので、それをベースにしつつ、ピンチのときに 声をかけられるようにアンテナを張っておこうと思います」
石毛が指摘するように、ピンチに陥るたびに源田がピッチャーに駆け寄り、寄り添い、声をかける姿 を目にする機会が増えた。源田にリーダーの資質を感じるのは、辻監督やチームメイトはもちろん、 ファンも同じだろう。
ショートの系譜から、リーダーの系譜へ――。石毛の助言を得た今、源田はどんな背中を見せてくれ るだろうか。すべてのライオンズファンは、主将の背中が再びの黄金期へ導いてくれると信じている。
Profile
石毛宏典
1956年、千葉県出身。駒澤大学在籍時、東都大 学リーグでベストナインに6回選ばれる活躍を見 せ、プリンスホテルに入社。1981年、ドラフト1 位で西武ライオンズに入団。1年目の開幕戦から ショートを任され、落合博満(当時千葉ロッテ)と 首位打者争いを演じて新人王に輝く。以降、 ショート、サードとしてゴールデングラブ賞を10 回受賞。常勝軍団のリーダーとしてチームを牽引 し、1988年の日本シリーズではMVPに選ばれる 勝負強さでファンを魅了した。ダイエーに移籍し た後、1996年に引退。2002~03年はオリックス の監督を務める。その後は四国アイランドリーグ などの立ち上げに関わり、後進の育成に携わっ ている。
源田壮亮
1993年、大分県出身。愛知学院大学を経て、ト ヨタ自動車に入社。都市対抗野球で優勝に貢献 し、2017年、ドラフト3位で埼玉西武ライオンズ に入団。辻監督に開幕スタメンに抜擢され、 ショートとして公式戦143試合にフルイニング 出場。155安打、37盗塁、リーグトップの刺殺・ 捕殺数で新人王に輝く。フルイニング出場は 2019年4月まで継続し、新人として史上最多の 299試合連続フルイニング出場を記録。2018~ 19シーズンは連続してベストナイン、ゴールデ ングラブ賞に選ばれ、球界を代表するショート に成長する。リーグ3連覇を目指す2020シーズ ンは、新主将としてチームを率いる。