

太平洋クラブライオンズとなって最初の年。 開幕戦でサヨナラホームランを放ったドン・ビュフォードや、阪急から石井茂雄、近鉄から芝池博明、南海から三浦清弘ら三投手が加入するなど大幅な選手の入れ替えが行われた。
パ・リーグでは前年の阪急の独走優勝が影響したとされる観客離れを防ぐため、ペナントレースを前期・後期に分け、両優勝チームでプレーオフを行う“2シーズン制”が導入された。以後10シーズンこのシステムが続けられる。 太平洋は、前期4位・後期5位・通算4位となり、最下位であった前年よりもわずかに上向いた。当時はホーム用が白、ビジター用がグレーというのが当たり前であったのユニフォームの色を、上が赤、下が白地にサイドラインが入ったものを導入し、カラフルなユニフォームで新風を吹き込みもした。
同年、ロッテの金田正一監督の「九州のファンはマナーを知らない」といった発言を発端に騒動が勃発。6月1日の平和台での3連戦では警察が出動するほどの大騒動に発展した。そのため、太平洋とロッテの試合は翌年まで「遺恨カード」と呼ばれた。翌年になって、その裏話が明らかにされることになる。 シーズン終了後には、日拓ホーム・フライヤーズが日本ハムファイターズに、セ・リーグではヤクルトがニックネームをアトムズから国鉄時代のスワローズにもどした。
※リーグの打率10傑に入った選手なし
| 選手名 | 防御率 | 試合 | 勝 | 敗 | 完投 | 完封 | 投球回 | 奪三振 | 失点 |
| 田中 章 | 2.58 | 52 | 11 | 10 | 2 | 0 | 143 | 60 | 50 |
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