1964~71年
低迷と衰退、そして失墜

1964年には東京オリンピックが開かれ、その翌々年には人口が1億人を突破、経済成長を肌で感じたのがこの時期であった。パ・リーグでは、8シーズンのうち、南海が3回、阪急が4回と優勝を分け合った。セ・リーグでは巨人がまさに“常勝軍”となった。V9時代到来である。

西鉄を支え続けた“鉄腕”稲尾和久の肩が悲鳴をあげた。ただ、それでも稲尾和久はリリーフという形で復活し、エース格に成長しつつあった池永正明とともにチームを支えた。安定した投手陣の影響もあり昭和41、42年と2年連続で2位となった。

1968年を境に、西鉄は低迷の一途をたどる。1969年のシーズン終了後、稲尾和久、中西太が引退を表明し“野武士”と呼ばれた選手が次々と西鉄を去った。さらに、同時期に球界「黒い霧事件」が報道され、チームは大きく動揺した。エース池永正明をはじめ主力選手の多くがチームを離れ、戦力低下は著しく、それ以降、西鉄が復活することはなかった。

監修:杉山茂(スポーツプロデューサー)

チーム成績

チーム名 監督 順位 試合数 勝率
1964年 西鉄ライオンズ 中西太 5 150 63 81 6 0.438
1965年 西鉄ライオンズ 中西太 3 140 72 64 4 0.529
1966年 西鉄ライオンズ 中西太 2 138 75 55 8 0.577
1967年 西鉄ライオンズ 中西太 2 140 66 64 10 0.508
1968年 西鉄ライオンズ 中西太 5 133 56 74 3 0.431
1969年 西鉄ライオンズ 中西太 5 130 51 75 4 0.405
1970年 西鉄ライオンズ 稲尾和久 6 130 43 78 9 0.355
1971年 西鉄ライオンズ 稲尾和久 6 130 38 84 8 0.311

打撃成績

打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
1964年 0.242 150 5045 549 1220 191 25 116 520 78
1965年 0.246 140 4676 506 1148 186 14 112 480 81
1966年 0.231 138 4497 426 1038 175 25 125 407 82
1967年 0.222 140 4569 407 1014 154 20 98 387 99
1968年 0.237 133 4393 464 1043 157 16 110 439 107
1969年 0.225 130 4250 418 957 147 13 119 405 55
1970年 0.225 130 4253 417 956 129 9 137 404 77
1971年 0.231 130 4295 425 992 153 12 114 394 113

投手成績

防御率 試合 勝利 敗北 完投 完封 投球回 奪三振 失点
1964年 3.57 150 63 81 35 11 1347 622 617
1965年 3.00 140 72 64 48 13 1255 757 476
1966年 2.13 138 75 55 32 19 1245 767 354
1967年 2.50 140 66 64 38 19 1260 764 418
1968年 3.17 133 56 74 27 12 1194 687 486
1969年 3.40 130 51 75 35 11 1155 604 507
1970年 4.12 130 43 78 25 9 1149 633 576
1971年 4.31 130 38 84 20 2 1146 534 623